清水英恵 プロフィール
4歳に桐朋学園大学附属子供のための音楽教室入室、ピアノを始める。桐朋女子高等学校音楽科を経て、 桐朋学園大学音楽学部ピアノ科卒業。その後渡独し、ドイツ国立マンハイム音楽大学芸術家育成課程を最高点で卒業、 同大学院ソリスト演奏家課程を修了、同時にドイツ国家演奏家資格を取得する。
ドイツ留学中ライグラフメソッドと出会い、これが自分の求めていたものだ!とその奏法に衝撃を受ける。何通りかの音の出し方を学び、自分のイメージした音に近づくための引き出しを増やしていけるこのメソッドを、ハンス・ライグラフ門下だった先生から直接指導を受け、自身は孫弟子となる。
2006年にドイツ・ルードヴィクスハーフェンで行ったリサイタルでは「日本人ピアニスト、清水英恵の演奏は、卓越した技術と深く貫かれた音楽性バランス、それのまさに模範となるものを聴かせてくれた。{2006年1月 Die Rheinlandpfalz}」と高い評価を受ける。
2008年イタリア国際音楽コンクール”Premio Citta’di Padova”で2位。2009年ソリストとして、最も難易度の高いピアノ協奏曲の1つと言われるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を、ドイツ・バーデンバーデンフィルハーモニーと共演。帰国後、東京オペラシティリサイタルホールにて帰国リサイタル開催、好評を得る。ドイツ連邦共和国大使館・総領事館後援による、マンハイマー・ピアノクインテットのメンバーとして東京・大阪でコンサートを開催し、好評を得る。
これまでに、ピアノを藤田裕佳子、瀬尾真理子、廻由美子、パウル・ダン、武田-ヘルムス・牧子、室内楽を藤井一興、斎木隆、パウル・ダン、ローマン・ノーデルに師事。現在は演奏活動の傍ら、桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室お茶の水教室ピアノ講師として、後進の指導に当たっている。
自身の出産を機に、プロのママさん演奏家グループ「FARBE(ファルベ)」を結成、定期的な親子コンサートの開催を始める。
現在9歳息子、5歳娘を持つ二児の母。
清水英恵について 幼少期〜現在
●人見知りが激しかった幼少期
2人兄妹で2つ上に兄がいて、末っ子の妹として東京に生まれる。
母もピアノ講師で、母がよくピアノを弾いていたので、気付いたらピアノを始めていた。幼稚園の頃は父の仕事の都合で北海道の札幌に住んでいて、そこで桐朋学園大学音楽部門附属子供のための音楽教室の札幌分室に通い始める。母は普段優しいが、ピアノに対しては厳しくいつも隣に座って私のピアノの練習に付き合っていた。人見知りが激しく、外ではあまり話せない子だったが、家では末っ子気質満載で、よく威張っていたらしい。でも、ピアノの時だけは母に何も言うことができなかった。自由人だった兄もピアノを習ったが、母との練習が嫌で嫌でしょうがなくて、半年で辞めてしまった。
●病気がちだった小学生時代
小1の秋に東京に戻ってくる。小学校では最初全く学校で話せない、おとなしい子だったらしい。東京での小1、小2の担任の先生がとても厳しく、というか体罰をするような先生で、(その先生の行動はのちに雑誌に掲載される程問題になり、学校を退職させられた。)その影響もあったのか、先生の言う事が絶対で、それは全部ちゃんとやらなければいけない!と日々緊張していたように思う。ピアノでも同じで、先生の言う事、母との練習をちゃんとやらなければと思っていた。
その影響からか、小3で大病を患う。急性型肝炎になり、数カ月間入院し、ほぼ1年間学校にも行けなかった。かなりの倦怠感があったのを今でも覚えている。それでも、大病だとはっきりするまで、ダルくてもあまり続けてレッスンを休まないで無理していたようだった。
小4からはだいぶ元気になり、その時の担任の先生も明るく素敵な先生で、人見知りしながらもやっと楽しく学校に通い出した。
小学校高学年頃から、ピアノに対して、というより母に対して?反抗心が生まれてきて、みんなピアノの練習してないのに、なんで私はこんなに練習しなきゃいけないの?と思うようになっていった。たぶん今までそれを全く出せないで、いい子ちゃんでいなきゃ、ちゃんとしなきゃと思っていたのかもしれない。やっと母に、ピアノに対して言いたい事が言えるようになってきた。
●部活に明け暮れた中学時代
中学時代は部活に入る事に憧れていたが、ピアノの練習時間が減るからと、先生と母に反対される。でも、私はどうしても部活に入りたく、先生と母の反対を押し切って、父がずっと続けている剣道をやる事にした。剣道部では副部長を努め、剣道初段も取り、楽しく活動していた。ピアノはというと、練習時間は減ったし母ともよくバトルしていたが、それなりにはこなしていた。
合唱祭の伴奏もいつもしていて、その時期はクラスが私を中心に、優勝目指そう!と団結して頼りにもされ、それはとても嬉しかったし楽しかった!
中3になり、進路を決める時期になり、私は音楽が好きだし、ピアノは練習は好きではないけどピアノを弾くのは好きだし、やっぱり桐朋学園大学附属の高校を目指そうと決意する。
●人と作り上げる音楽の楽しさを知った音高、音大時代
桐朋学園大学附属高校、大学と、とても刺激的な学生生活を送れたと思う。個性的な人が多かったが、志が高く、高3ではクラスでミュージカルをやり、音楽は生のオーケストラで、みんな自己表現に慣れているからか演技も上手く、完成度はとても高かったと今も思う。
高校からのピアノの先生は、クラシックでも現代音楽や、ガーシュウィンやバーンスタインなどジャズの要素が入っている曲や、様々な作曲家の素敵な曲を弾く先生で、音楽の幅がすごく広がった。私はリズミカルな曲が大好きだという事も、この時に発見した。
大学時代はクラシック以外の音楽にも興味を持ち、他大のバンドサークルに入る。リズミカルな曲が好きなのもあって、ドラムを始める。
そこでの活動もまた刺激的で楽しく、何よりみんなで音楽を作り上げる!みんなで練習する!というのがすごく楽しかった。ピアノは個人プレイが多く、孤独を感じてしまうが、バンドは1人じゃできない。それと一緒でクラシックでも、伴奏や室内楽など、誰かと作り上げる音楽は、より楽しかった。ストイックなピアノの練習はあまりしていなかったが、音楽の楽しさをより知った学生時代だった。
大学卒業後、楽器店講師として働くが、初めてピアノのレッスンから離れ、たまに本番を弾いたりするうちに、もっともっとクラシックを勉強したい!もっと素敵なピアノを奏でられるようになりたい!と思うようになる。たまたま縁があったドイツでの短期講習会があり、それに参加すると共に、次の年からドイツ留学を決意し、1年で楽器店講師を退職。全く語学の勉強もしていなかったので、急に決断したドイツ留学に両親は驚いていたが、応援してくれた。それには今も感謝しかない。
●ピアノに目覚めたドイツ留学時代〜現在
ドイツにいる友人を頼って、とにかく早く現地に行きたくて、ほぼ何もドイツ語が話せない状態で、なんとか現地での生活がスタート。大変な事もあったが、たくさんの友人や現地の人に助けてもらった。
ドイツでは、音楽漬け、ピアノ漬けの日々だった。ルーマニア人の教授のもとで学んだ私は、レッスンの時に「君はどう弾きたいの?君はどう思うの?君はどう感じるの?」と度々聞かれ、それに答えられない自分にもどかしい思いをする。私がそれまで受けてきた日本でのレッスンは、先生が言った事が絶対で、言われた事が次のレッスンの時までにできるように練習していく。自分がどう思うかなど、聞かれた事はなかった。欧米の生徒達は、先生にも普通に意見を言い、先生のアドバイスも気に入らなければやらない。でもそれは、ピアノを弾くのは自分なのだから、人の心に届くような演奏をするには、自分がその曲をどう感じて、どう弾きたいかを明確にする事は、1番大事な事なのではないか?と気付く。
そして、自分の演奏と真剣に向き合う中で、上手く力が抜けない、なかなか良く響く音が出ない、レガートが上手くなめらかに弾けない、と自分の奏法に悩んでる時、ライグラフメソッドと出会う。
ライグラフメソッドとは、ハンス・ライグラフという名ピアニスト、名教師のメソッドで、彼の門下生には、ミュンヘン国際音楽コンクール、ブゾーニ国際ピアノコンクール、エリザベート王妃国際音楽コンクールなど世界的に有名なコンクールの入賞者が数多く存在する。その奏法を教えているライグラフ門下だった先生のところに、長期休みを利用して数ヶ月通い詰め、習得すると、自分が出したい音のイメージが学んだ奏法を使う事によって一致していき、これが自分の求めていたものだったんだ!と、目の前の霧が晴れたような気分だった。私にとってはピアノ人生を大きく変える出会いであった。
メソッド習得後、イタリア国際音楽コンクール”Premio Citta’di Padova”で2位を受賞。
ドイツ国立マンハイム音楽大学芸術家育成課程を最高点で卒業し、同大学院ソリスト演奏家課程を修了と同時にドイツ国家演奏家資格を取得する際、ピアノ協奏曲の中でとても難易度が高く、技術的にも難しいとされているラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を、ソリストとしてドイツ・バーデンバーデンフィルハーモニーと共演する。
5年間のドイツ留学を終え、東京オペラシティリサイタルホールで帰国リサイタルを開催、好評を得る。ドイツ連邦共和国大使館・総領事館後援による、マンハイマー・ピアノクインテットのメンバーとして東京・大阪でコンサートを開催し、好評を得る。
演奏活動の傍ら、桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室お茶の水教室ピアノ講師として、後進の指導を開始。
自身の出産、育児を経験し、子育ては始めての事ばかりで嬉しさや楽しさもあるけど、不安もたくさんあり、孤独になりやすく、自分も含め、頑張りすぎてしまうママが多くいる事に気付く。
そんな子育て中のママに癒やしを!をコンセプトに、プロのママさん演奏家グループ
「FARBE(ファルベ)」を結成、定期的な親子コンサートの開催を始める。
ピアノ教室を主宰するにあたっての想い
私は小さな頃人見知りが激しく、自己主張をするのが苦手だったので、上手く言葉で話せなくても、ピアノを弾く事で、自己表現をする手段がありました。
小さな頃からピアノに触れ、受け身ではなくどう弾きたいか?どう感じるか?を一緒に考えるレッスンをしていく事で、どんなタイプのお子様でも、自分の表現というのができるようになっていきます。私が学んだライグラフメソッドは、その表現の幅を広げてくれるので、その人の感性や個性を最大限に引き出す事ができる奏法です。
そのメソッドを使ってレッスンをしていく事で、自分を表現する術を身につけ、将来どんな分野でも自信を持って自分の意見を言えるようになっていく。それがグローバルの世界でも活躍していける事、そして才能のある日本の人材を育てていく事に繋がるのでは、と信じています。
9歳息子、5歳娘を持つ二児の母。